素材

 

知識と自信が無い。

文章を書くときに詩的な表現を多用したがるのも、そのせいだろう。

語彙が貧弱だから、考えたことや感じたことを一般に用いられる言葉で表現できない。けれどもプライドが高いから、馬鹿っぽいと思われたくない。というわけで、比喩や擬人法などで一見意味不明な文字の羅列を作る。別に詩人を貶しているのではない。詩人はそのような修辞技法を使いこなすが、私は使いこなせない。だから私の場合は言葉が暴走する。


割と普通の感性を持っていることに気づいて安堵と落胆を覚えた。何か違和感があり不安に思いつつも、その違和感に些細な誇りを抱いていたのだろう。

まだまだお嬢ちゃん、可愛いなあ本当に。

 

映画

 

珍しく映画を鑑賞した。『蛇にピアス』と『善き人のためのソナタ』。

映画に触れる機会は今まであまり無かった。DVDは人が見ている横でチラ見する程度。映画館は誘われて何度か行った程度。TSUTAYAでCDを借りたことはあったけど、DVDを借りるのは初めてだった。というか、DVDコーナーに行くのもたぶん初めて。驚かれるかもしれないけど、旧作なら1本100円(税抜)で借りられることに驚いた。菓子を買い込んで貪り食うより安いし刺激的だな。

蛇にピアス』は前からずっと見なければいけないと思っていた。吉高由里子初出演の映画だから。夜更かしを許されてドラマを見始めた小学生の頃(中学生だっけ?)、『美丘』に出演していた吉高由里子に一目惚れした。一目惚れと言っても外見はあまり関係が無くて、雰囲気というか、存在というか。飽きっぽい性格だけど、もう何年も好きだ。舌足らずな喋り方とか痛いツイートとか、嫌いになる要素はいくらでもあるのに。腹が立つことはあるけど。

 

蛇にピアス』の内容自体はそこまで面白くなかった。原作はまた違うのかもしれないけど。吉高由里子演じるルイの口調に違和感があって笑った。それと、冒頭が無音なんだけど最初はそれが演出だと知らず、DVDを壊してしまったのではないかと焦った。何度も再生し直した後、Googleで「蛇にピアス 無音」と検索して解決した。

 

善き人のためのソナタ』は、冒頭の映像を紹介されて興味を持った。シュタージ局員による尋問から物語が始まるのだが、それで一気に引きこまれた。非人間的な要素は、第三者の立場から見れば魅力的に思える。自分には害が及ばないし、現実の自分とは対照的な要素であるからだろう。どこか理性を過信している部分があるのかもしれない。何か言えるほど内容を理解している自信が無いから感想は言わない。

 

神話

 

多様性は個体に本質的な孤独をもたらす。

捕まえようと奮闘していたら、うっかり目を合わせてしまった。

身動きが取れないし声も出せない。

 

手製の鏡は自分を傷つけるばかりだ。

 

外部の精神世界は変化の周期があまりにも短い。

真の安らぎは、先天的に画一化された世界の中でのみ実現されるのだろう。

 

秩序

 

無意識に集めた感性の結晶に共通点を見出したとき、自己の輪郭に触れ喜びを感じる。

他者の感性なのか、自分の感性なのか。核は変わらずとも、まだやわらかな表層部は異物との融合を繰り返す。空気が足りないのかもしれない。

 

反省によって自我の不調を克服することは不可能らしい。不調発生と反省は同じ過程を辿るから、と。どちらも自分を対象化し外部から眺める。

なるほどなあ。外部から自己をまとめようとしても、自分は外部にいるのだからまとまるはずがない、ということだろうか。

 

最近、猜疑心が強くなった。騙されていることに気づいていない自分が陰で笑われている気がする。朝から晩まで妄想に支配され、何も手につかない日もあった。本当にやめてほしい。

 

文書を保管する際は暗号化したくなってしまう。のちのち自作の滑稽な符号に呆れることなど目に見えているのに。